今朝、息子が学校に行きたくない。と、泣きながら布団に包(くる)まって言った。
その10分前は、学校の支度を整えていて。
後は時間になったら家を出るだけだったのに。
時々、ひとりでリビングで布団を敷いて寝る息子。
昨晩もそうだったので、学校へ行く前にお布団を畳んでから行ってね。と再三伝える。
そのことが最終的に引き金になったのか。
彼の中で「命令されること。」(やりたくないことを強制的に言われること)で、イヤな感情が芽生え、そのまま様々なことがフラッシュバックしたらしい。
登校の時間になっても動かない。
どうしたの?と聞いても微動だにしない。
あぁ、始まった。
その思考回路は、前回の旅で本人から聞いた。
(長崎旅行のスケジュールが大幅に変更になった件)
一度、イヤな気持ちになるとそれまでに経験した不当な嫌な数々を思い出すという。
あのとき、誰々がどういうことをした。いやなことを言われた。ボールを投げられた。しつこく押された。など。
ひとつのことがキッカケで全く別の記憶まで思い出すことになり、身体が動かなくなる。嫌な気持ちに縛られて気分が沈み、涙まで流す。
だから、急に学校に行くこと自体が出来なくなる。
その時の気持ちが「今」の状態になり、動けなくなる。
うんうん。分かるよ。分かる。分かりすぎるよ。
誰が何と言おうが、その場凌ぎで謝られても自分の気持ちが落ち着かなければダメなのだということ。
それでも息子は、やっぱり空気を読むのが苦手だ。
そもそも、空気など読まない。読もうとしない。読む必要も感じていない。
ママが仕事に行くと伝えても。
学校で授業があると伝えても。
楽しみにしている行事があっても。
誰が待っていると話しても。
先生から電話があっても。
とにかく、どんなアプローチがあったとしても解決するのは時間だけなのだ。
それが、根本的な改善かということとは別として。
ただただ家に居るというのは、つまらないもので。
ゲームもテレビもしない状態で、次第に飽きて来たらしい。
丁度、ノートが切れていたので通学路の途中にある文房具屋さんまで歩いて向かった。
(まだ授業をやっている時間帯)
今日は、「まなびの教室」がある日。
息子が夏休み明けから指折り数えて楽しみにしていた授業の再開。
(それがあっても、学校に行かないと決めたらテコでも動かない。)
その先生が、たまたま授業を終えて帰るところに出くわした。
その時に掛けてくれた声に、わたしが泣きそうになる。
「おー、そうかそうか。家から出て来たんだね。それで大丈夫だよ。
君のままでいいからね。大丈夫。」
そう言って、息子の腕をさすりながら顔を見て話してくれていたのに。
息子はばつが悪そうに頭を回して返事もろくにしない。
母というのは、どうしてこんなに弱くて強く居ようとするのだろう。
わたしはどうすることも出来ず。
その子のことを思いながら、ひとりでは抱えきれない育児と向き合う。
力を貸してくれる人がいるからこそ。
息子の成長を一緒に見守ってくれる人が居るのだという安堵感に。
わたしはたまらなく涙が込み上げてくる。
明日は、気分が変わって学校に行けるだろうか。
育児に正解がないとしても。
ないからこそ、試行錯誤しながら自分と向き合う。
発達障害。
それは分かりにくいけれど。
私もその性質を持っている。
そして、知っている。
この特徴のあることで、喜怒哀楽が豊かであることも。
私は自分の個性が好き。
そして、そのことで沢山の人に助けられて、支えられて生きているから。
マイナスな個性にせず、息子の特徴だということを理解しながら。
ただ、まだ息子はその感情のバランスの取り方が分からない。
私が文章を書くように。
言葉を使って表現するように。
日々の成長の中で、本人らしいバランスの取り方を見つけられるように。
ママはサポートすることしか出来ないのだから。
前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力
1976年生まれ 新宿区在住
2児の母
株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター