2015年11月 一覧

平凡も極めたら非凡になる

コンプレックスの1つに、自分は「普通」である。ということがあった。

そこに居るだけで、注目される人がいたり、珍しい運命を持っていたり、手相がスゴかったり、そういう人になろうと思ってもなれないことに対してのコンプレックス。

他人と比較することをしていたし、比較することでしか生じないコンプレックス。

ただただ、普通の人なのに、人前に出る仕事がしたい。そういう人になりたいと思ってしまった。

 

ふと、周りを見た。テレビを見た。

キレイな人だけがテレビに出ているのではないと。
この人は何で必要とされているのだろうか。と。

分析をしてみる。
必要とされるには、理由があるはずだと。

そして、私なりに理解したことは「普通」でいることにも一定のニーズがある。ということ。

 

「普通」であることを強みにすることで「普通」でいることに自信が付く。
すると面白いもので、「普通の人」であったとしても、ちゃんとオーラをまとう人になる。

「私は普通だからその他大勢のキャストの1人でいい。」と思っていたら、そのまま願った通りになっただろう。

私の場合「普通だけど、普通の人の代表になったら、1人として注目される。」を選んだ。

 

そして思う。

人前に出ることをしたかったのではなく、必要とされる人になりたかったのだと。

・アナタが居てくれたら安心する。
・一緒に仕事をするとイメージ通りになる。
・アナタといる空間で何かを生み出したい。

 

周りの人に必要とされ、よりよいものが生み出せるのならば、私はその役割を全うしよう。
よい商品が・ステージが・作品が出来るのであれば、私はそのために存在しよう。

 

それぞれのシーンで、自分の立ち位置を把握し提供する。

これはとても楽しくて、自分らしい生き方なんじゃないかと思っている。

母・妻・仕事を持つ女性として生きている。
どの顔も私なのだ。

 

時に、スイッチがバチリと切り替わるように。

時に、ゆるゆるとにじむような感じだったり。

 

なんだっていいのだ。
自分の軸があれば。 時々、折れて、時々、強くて、時々、しなやかに。

 

そして、何より自分をプロデュースすることが面白かったりして。
自分が自分を好きでいると、結構 何にでもなれると知ってからは
周りの人が輝き、イキイキして行く姿を見るのが楽しくて仕方なくなった。

だから、そういうプロデュースもするし、ますますやりたいことが溢れてくる。
人は成長しつづける生き物だからこそ、日々是楽。

 

さて
今日のたわごとも、なかなか私らしい戯け事。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

2015年10月カオリコ_8512

 

前田カオリコ

エッセイスト・話し方プロデューサー

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格
『魅話力®』検定 作成中

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マニュアル・マニア

イベントのマニュアルを読むのが好きだ。
そのマニュアルには、現場の熱意・規模・精度が伝わると言っても過言ではないと思う。

マニュアルと現場のコミュニケーションの在り方で、その現場の空気が決る。

 

そもそもの始まりは、大学時代に経験したイベントコンパニオン。
もう20年前のことだ。(うぉ。光陰矢の如し)

さて、この仕事も奥が深かった。
同じ現場にいるのに、その現場がどのように動いているのかよく分からない。
全体を把握したくなって制作側の意図を見たり・聞いたりすると、やる気が違った。

イベントのプロジェクトが組まれ、試行錯誤があった上で、最終段階で私達は呼ばれることが多い。
その間のあーだこーだの部分が面白そうで、制作サイドに入りたかった時もあったが、結局は表舞台に立つことを選んだ。

だが、現場の動きを知っていると、表に居てもとても役に立つ。

私は特別美しい存在ではなかったが、それゆえ、自分の立ち位置を理解し・必要とされるにはどうすればいのかを模索していたのかも知れない。

いいモノを作りたい。一緒にチームで駆け抜けたい。演者は特別ではなく、チームの役割の1つ。その想いが、いい現場を作り・いい仕事につながるのだ。線引きをする必要が無くなった。

 

女の子は誤解し易い。
「可愛いだけ選ばれているのではないということ」
「キレイなだけでその仕事が降ってくるのではないということ」

そして、もしビジュアルだけで呼ばれたのならば、そこだけに価値がある時代に
多くのことを学んでおいて欲しい。

アラフォーになった今、若さへ嫉妬することはなく、その眩しいエネルギーがあるウチに素敵に成長出来るような応援がしたいと思うのだ。

 

 

立て続けに現場仕事のマニュアルが届き、なんだかそれがとても嬉しくて、今日のコラムになった。

マニュアルは読むのは簡単だけど、作成にはとても時間が掛かる。
方々に確認を取り、落とし込まれた1冊の想い。
だからこそ、自分勝手な判断は出来なくなる。

 

私は、私の仕事を全うする。
そして、plusアルファの仕事を目指して丁寧に走り抜ける。

イベントは終わった時の達成感がたまらない。
この麻薬的な魅力がなんとも現場を離れがたくするのだ。

 

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前田カオリコ

エッセイスト・話し方プロデューサー

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格
『魅話力®』検定 作成中

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【コミュニケーション】果たせない約束はしない

約束をする。予定を入れる。スケジュールを管理する。

様々な状況下に於いて、予定を組むことがあるだろう。

その予定を無断で破るというのは言語道断。

YES. の意思を相手の伝えてからの「やっぱり行けません。」「やっぱりダメでした。」という人が存在する。

そのことに対して、何のためらいもなく出来るのはなぜだ?という根本的な疑問について
今日は書いてみようと思う。

実は最近、立て続けに以下のようなことが起こった。

 

例1:○月△日のイベント、参加します。
▶︎直前になって「やっぱり都合が悪くなって行けません。スミマセン。」

例2:この日、会いたいです。お願いします。
▶︎「(理由を告げず)再調整できますか?」

例3:約束の場所(現場・イベント)に現れない。
▶︎ありえない。

例4:是非、来てください!
▶︎当日になり「来なくて良くなりました。」(意味不明)

 

 

このことを重ねると、その人はとても大切なものを失うことを想像出来ないのだろうか。
「その人が来る」ということによって、周りの人がそこに対してのアクションが生まれる。
「来る」ことを前提にスケジュールが組まれることに対して、いともあっさりと「やっぱり行けない」という態度を取られることが、非常に残念である。

来られないのは仕方ない。と受け止めるが、
そのことによってその人に対する信頼はゆらぐ。

不信にすらつながるその行為を重ねれば重ねる程、その人に対しての評価が下がる。

重要なことを任せられなくなり、来ても来なくてもプロジェクトが回るようなポジションにしか扱われなくなる可能性が高くなる。

約束を破るという行為は、その相手を尊重していないことを暗に伝えており、
簡単に人との約束を破る人は、自分との約束も守れないとみなされる。

自分がそうされたら、どう感じるのだろう。
ドタキャンが当たり前だから、相手にする。
ということは、自分もその程度の扱いでいいと思っているのだろう。

そのような自分を大切にしていない人と、一緒に何かしようと思うだろうか。
簡単に「行く」と言うのではなく、予定が見えないのであれば「行けるようになったら連絡します。」という選択肢もある。

もともと、行きたくない誘いを、断りづらいからと
その場では「行く」と伝えてながらも、後から「やっぱり都合が悪くなって。」というのは、相手に対して甚だ失礼を通り越して迷惑。

行けない・行きたくないなら「行かない。」の意思表示すればよい。

「お誘い嬉しいのですが、あまり興味がないのでやめておきます。」
「都合が悪いので(スケジュールが空いていても)行けない。」
とキッパリ言うことで、自分自身もスッキリするのではないだろうか。

本当に行けなくなった場合は、その時点で速やかに相手に連絡する。または、相談する。
また、行けない理由を分かり易く伝える。誠意を持って伝える。
結果、その人は信用に足る人物になる。

 

自分は、どういう存在でいたいのか。
想像力を巡らして欲しい。

ひとつひとつ解説したいところだが、今回はこれにて。

今回もワタクシの戯言にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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前田カオリコ

エッセイスト・話し方プロデューサー

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格

 

 


「どうしたい?」の自問

ママサークルの代表をしている。
このサークル運営は、ボランティアといっていいと思う。

ママ支援という大義のような名分があるけれど、ただ本当にやりたいと思って始めて 現在がある。
個人で初めて5年、サークルにして丸2年。

団体にすることで、その先に何があるのか。
どういう組織にしたいのか。

個人で活動している時には、及ばなかった思考が
団体にし、他の人達の助けを得て初めて気付く。

みんなに動いてくれた分の対価を支払いたい。と。

ボランティアをするには、まだそれぞれに余裕がなさすぎる。
時間も、お金も、知識も、経験も。

だからこそ、小額でもいいから謝礼を渡したいと思うのは自然なこと。

そう打ち明けると、どの団体も同じ様な課題がある傾向。

 

・運営費を捻出するために、団体を大きくして集客するのか。
・企業・個人から支援(寄付)を募るのか。
・助成金を求めて組織を編成していくのか。
・法人化した方がいいのか。

色々な選択肢がある。 そして、迷う。

今、何をしたいのか。どうしていたいのか。

2年目は、そのことをずっと考えてきたように思う。

企画する側も、参加する側も笑顔でいられるにはどうすればいいのだろうか、と。

サークルを大きく見せることでもなく、やっている活動に無理をすることでもなく、これは私のライフワークだ。

ゆっくりやろう。
10年先も、新米ママ達の笑顔を守れるように。子ども達の笑顔を見られるように。

人気商売ではないのだ。

原点回帰。

社会に根付くコミュニティを増やしたい。
そして、その礎(いしずえ)を作っている。
それでいいではないか。

何かのターニングポイントは、必要な時にやってくるだろう。

ブルーミング・マムをスタートしたキッカケが、
我が子の笑顔が見たくて、成長する姿をそばで見ていたかったから。

だからこそ、今の私の生き方があるのだから。

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前田カオリコ

エッセイスト・話し方プロデューサー

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格

 

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