コンプレックスの1つに、自分は「普通」である。ということがあった。
そこに居るだけで、注目される人がいたり、珍しい運命を持っていたり、手相がスゴかったり、そういう人になろうと思ってもなれないことに対してのコンプレックス。
他人と比較することをしていたし、比較することでしか生じないコンプレックス。
ただただ、普通の人なのに、人前に出る仕事がしたい。そういう人になりたいと思ってしまった。
ふと、周りを見た。テレビを見た。
キレイな人だけがテレビに出ているのではないと。
この人は何で必要とされているのだろうか。と。
分析をしてみる。
必要とされるには、理由があるはずだと。
そして、私なりに理解したことは「普通」でいることにも一定のニーズがある。ということ。
「普通」であることを強みにすることで「普通」でいることに自信が付く。
すると面白いもので、「普通の人」であったとしても、ちゃんとオーラをまとう人になる。
「私は普通だからその他大勢のキャストの1人でいい。」と思っていたら、そのまま願った通りになっただろう。
私の場合「普通だけど、普通の人の代表になったら、1人として注目される。」を選んだ。
そして思う。
人前に出ることをしたかったのではなく、必要とされる人になりたかったのだと。
・アナタが居てくれたら安心する。
・一緒に仕事をするとイメージ通りになる。
・アナタといる空間で何かを生み出したい。
周りの人に必要とされ、よりよいものが生み出せるのならば、私はその役割を全うしよう。
よい商品が・ステージが・作品が出来るのであれば、私はそのために存在しよう。
それぞれのシーンで、自分の立ち位置を把握し提供する。
これはとても楽しくて、自分らしい生き方なんじゃないかと思っている。
母・妻・仕事を持つ女性として生きている。
どの顔も私なのだ。
時に、スイッチがバチリと切り替わるように。
時に、ゆるゆるとにじむような感じだったり。
なんだっていいのだ。
自分の軸があれば。 時々、折れて、時々、強くて、時々、しなやかに。
そして、何より自分をプロデュースすることが面白かったりして。
自分が自分を好きでいると、結構 何にでもなれると知ってからは
周りの人が輝き、イキイキして行く姿を見るのが楽しくて仕方なくなった。
だから、そういうプロデュースもするし、ますますやりたいことが溢れてくる。
人は成長しつづける生き物だからこそ、日々是楽。
さて
今日のたわごとも、なかなか私らしい戯け事。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
前田カオリコ
エッセイスト・話し方プロデューサー
1976年生まれ 新宿区在住
2児の母
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格
『魅話力®』検定 作成中