特集インタビュー「新宿の花開くママ達」 |国際協力・ボランティアを生きる 甲野綾子さん

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甲野綾子(Ayako Kono)

1979年生。2児の母。新宿区市ヶ谷在住。

大学のボランティアサークルでミャンマーへ車いすを持っていく活動を行う。
卒業時に、ミャンマーの子ども支援グループを立ち上げ、
その後は仕事や育児と平行しながら、現在もグループの活動を継続中。

大学卒業後はベンチャー企業の事務→メーカーの会計事務→
ボランティアセンターのコーディネーター→国際協力NGO職員と変遷。
仕事をしながら通信制大学院で開発学を専攻。
結婚を機に、夫の実家のある新宿へ。現在に至る。

HP:ソシア http://www.ngo-sosia.net/
  ハンガー・フリー・ワールド http://www.hungerfree.net/

Blog:実家の母の闘病を中心とした雑記ブログ http://asiamama.hatenablog.com/

 

 

Q1、どんなことをしていますか? (活動・仕事内容について)

仕事は国際協力NGOで支援者担当をしています。
具体的には、支援者のみなさんのデータ、寄付金の管理や請求業務、
また、ご支援を長く続けていただくための施策を行っています。

プライベートでは、学生時代から続けているミャンマーの子ども支援グループの代表をしています。
最大都市ヤンゴン近郊の孤児院への教育支援(月200ドルの寄付)と、
日本国内での小中学校での異文化理解授業を実施しています。
また最近は産後ケアのボランティアや、ママ友が始めたこども食堂の運営もお手伝いしています。

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Q2、何故、このような活動をスタートしようと思ったのですか?(きっかけは?)

中学生のときに、「世界には十分な食べものがあるのに食べられない人がいる」ことを知って、
日本で余計なお菓子を食べたり、あるいは嫌いだからと捨ててしまう分だけ、誰かが困るのかな、と悶々とし、国際協力やボランティアに関心を持つようになりました。

大学に入ってから、ボランティアサークルでミャンマーに車いすを持っていく活動をしていました。
そのときは、海外へ行ったこともなく
ボランティアもしたことがないメンバーがほとんどの、
また出来立てほやほやという、何もない状態のサークルで、
「ミャンマーへ車いすをもっていこう」とだけ決めて活動をはじめたんですね。
そしたら、地域の商店街やライオンズクラブのおじちゃんたちが
輸送費をどどんと寄付してくれたり、近隣の病院から20台以上の車いすの寄贈を受けたり、
ミャンマーのほうでも地元の公務員の方が手助けしてくれたりと、
「はじめてしまえば、賛同してくれる人の輪が広がる」という経験をしたことで、味をしめて?しまいました。

 

Q3、実際に仕事をして、大変だったこと・印象に残っていることは何ですか?

学生のときは、とにかくお金がなかったので、アルバイトしてはミャンマーに行く、という感じでした。
なんとか卒業論文はがんばって書きましたが、あとの勉強は適当で、就職活動もほとんどしませんでした。

仕事も、最初は契約や派遣という不安定な形で賃金も安かったので、
先々の自分の人生にやや不安を感じていました。

 

Q4、嬉しかったことは何ですか?

一般的な就職活動をせずに、ひとまずミャンマーの活動を目いっぱいしたいと
両親に相談したところ「自分の人生だから、納得のいくようにしなさい。
実家に住んでもいいけど、その場合は月3万円入れること。
それができなくなったらやめなさい」と言われたことです。
両親から、私がひとりの人間として一歩踏み出すことを
「自分の人生に自分で責任をもちなさい」と後押しをされた気持ちでした。

また、日本のとある小学校で、ミャンマーの文化を紹介する出前授業をしたときのことが忘れられません。
そのときは、自分の誕生日や家族の誕生日に寄付をする、という
ミャンマーの習慣を紹介したんですが、ある男の子が、そこにものすごく関心を示して、
授業が終わってからも「ミャンマーでは誕生日に寄付をするんだ!」とうれしそうに叫んでいたんですね。

すごく不思議だったんですが、あとで、その子は当時、家庭環境が変わったばかりだったと聞きました。
経済的な状況が変わって、クレヨンがほしいけどクーピーしか買ってもらえない、
自分の誕生日にも思うようなプレゼントがもらえないって泣いていた。
でもミャンマーでは誕生日はプレゼントをもらう日ではなくて寄付する日、というのが、
彼にとって価値観の転換というか、すごく新鮮だったみたいなんです。

今まで悲しいと思っていたことが、異文化を知ることで、
ちょっと感じ方が変わるというか見え方が変わって、
そんなに悲しいことじゃないのかな、って思えるようになったのかなと。
もちろん、その男の子の悲しみがすべてなくなったわけではないと思うのですが、
私たちの活動がなければミャンマーについて知ることもなかったでしょうし、
文化と文化の橋渡し、異文化を知ることで、
その男の子に、新しい価値観に気づくきっかけを提供できたのは、すごく嬉しかったです。

 

Q5、周りからの反対はありましたか?(家族・夫・子ども・姑・舅・ママ友など)その時、どう思いましたか?

身内からは、反対されたことはありません。
夫も私の活動を誇りに思っているようですし、義母も応援してくれて、
週末のこども食堂のボランティアのときは、いつも夫か義母が予定をあけて子どもたちをみてくれています。

ただ、大学を卒業するころ、なぜか父の友人の年配の男性が、
私が就職活動せずボランティアをしていることを聞きつけて
「自分の尻もふけない(親元から自立できていない半人前の)人間がボランティアするなんて、けしからん」と
説教しにいらしたんです。それには参りました。
ボランティアって人のため、時間のあまっている人がすること、
あるいは偽善というような印象があるからそうおっしゃったのかなと思うのですが、
じゃあ、芸術やスポーツに没頭していて、同じことを言われただろうか?と思いました。
ボランティアは地位の確立したエライ人でなければ、できないの?と。

あれから15年がたって、ずっと活動を続けてきて思うことは、
「ボランティアは人に迷惑をかけなければ誰でもしていい。」
ということです。
自己満足であろうとなかろうと、迷惑がかかってはダメです。
かけていなければ、誰も困りませんから。

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Q6、その活動の原動力は何ですか? 
(何かを始める・継続することはスゴいこと。読者にヒントを下さいっ。)

ボランティアをすることで、いつも新しい発見、学び、
その他自分にとって豊かな時間をもらえることです。

実家の両親も夫も義母も、そこをよく理解してくれていて、
私にとって必要なことだと思ってくれているので、協力してくれているので、続けやすいです。

 

Q7、将来はどんなイメージを持っていますか? (夢・目標について)

地域のひとたちの居場所づくりをしたいなと思っています。
コミュニティレストランとかコミュニティカフェといわれるような。
それも、特定の飲食店というカタチでなくて、
開かれた茶の間という感じでもいいし、地域センターを借りて日にち限定でもしい、
せっかく近所に住んでいるのにお互いの顔も名前も一致しないのは寂しいので。

かといって、ものすごく強いコミュニティすぎても息苦しいですよね。
何かのときに助け合えるゆるやかなつながりや、
困ったときに子どもからお年寄りまでほっとできる場所を、食を通じてつくっていきたいという妄想があります。

なので、ママ友がこども食堂をはじめると聞いたときは、すぐに賛同しました。
また夫が鍼灸マッサージ治療院を経営しているのですが、
開業1周年、2周年記念として1日チャリティカフェを開催しました。

 

Q8、プライベートではどんな人ですか?(ママ・妻・女性として)

子育てに翻弄されています。
長女が特にマイペースというか、少し前まで、片道10分のはずの保育園の帰りが1時間半かかっていました。
園を出るのに30分、スーパーの前で押し問答で30分、道端で遊ぶ遊ばないで30分という感じで…。

最近は電動自転車を取り入れたのと、
とにかく長女へわかりやすい愛情表現をすること、
またイライラしてしまうのは子どものせいではなく自分自身なんだと気づいてから、
ちょっと接しかたも変わったみたいで、長女が少し落ち着いてきました。

次女は対照的に、おとなしくどんと構えたタイプなので全く手がかかりません。
子育てって100人100様なんだなと、
実母や義母だけでなく、身近に接している子育ての先輩世代の方たちに、
以前よりずっと尊敬の念を抱くようになりました。

夫とは、あまり喧嘩もなく、お互いの仕事の相談をしあったり、
家事はできることをできるほうがやったりしています。
私は料理が好きで、夫は料理以外の家事に育児に非常に積極的でたすかっています。
私より夫のほうが家事育児にかけている総時間が長いかもしれません。
ただ、二人とも片づけが苦手で部屋はちらかっていますが。

 

Q9、新宿との縁(ゆかり)について教えてください。(地元?地方出身者?働いている?)

夫の祖父の時代から今の家に住んでいるそうで、
結婚を機に近くのアパートに引っ越してきました。
一昨年の春からは義両親と同居しています。

このあたり(市谷周辺)は、江戸時代縁の町名が細かく存在し、
時代小説を読んでいると、あ、この近くだ、と思い嬉しくなることがあります。

また夏目漱石や田山花袋なども住んでいたり、
新選組跡地があったりと、ちょっと前の時代が息づいている感じがしてワクワクします。
治安もよく、子どもたちが地元の小中と進学しても安心なところがいいです。

あと、非常にミーハーなのですが、
子どものころシティハンターという漫画が大好きで、
主人公が新宿の街を守るという設定だったので、
その街の住人になれたことが、ひそかに嬉しいです。

 

最後にメッセージをお願いします。

もし、いま興味のあることやってみたいことがあって、
育児や家事を理由に躊躇していたら、
もういちど、本当にやりたいことか、
もしかしたらやってみることができるのではないか、と考えてみてください。

母親だから、妻だから、
子どもや家庭を守らなきゃ、という気持ちが、
自分の心の奥から出てきた本心ではなく、
社会のなかで求められている役割ゆえに、遠慮しているとしたら、もったいないと思います。

母や妻としてだけでなく、ひとりの人間としての場を持つことは、
それが仕事であれ趣味であれ、ひとつの心のよりどころとなって、
母として妻としての気持ちの余裕にもつながると思いますので。

 

<インタビューを終えて>

ふいに涙が出てしまいました。
温かく真っすぐな志に触れ、ボランティアに関わることを優しく教えていただいたように感じます。

周りの方々の理解、反対があったことへの受け止め方など、
どんな出来事でも置き換えることが出来るのではないかと思います。

私達、ブルーミング・マムの活動もボランティアの一つ。
大きく受け止められたことで、胸が熱くなってしまったのかも知れません。
担当:カオリコ

 

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