*エッセイ*活字との出逢い

そもそも、私が読書家になったのは実兄の影響だった。

20年前、
父親がうっかり購入した(バブル期の余韻)百合ケ丘のマンションに、
兄と入れ替わりで住むことになった大学1年の春。気ままな一人暮らし。

家具が全て残った状態で引き継ぐことになり、インテリアは兄仕様。
ロフト付きの1LDKの部屋の壁棚には、ぎっしりと詰まった本の数々。

それを全部読んだ。
200冊くらいだったと思う。

目的が持てないと、無為に過ごしがちな学生時代。
読書の習慣が身についた私は、言葉やコミュニケーションに興味を抱く。

「人が好きだから。」と、理由にするには不十分な志望動機を掲げながらも、全国行脚してアナウンサー受験をした。

拾われるようにして喋りの仕事に就いた私に、スタジオの中で・現場で・プレビューをしながら・・あらゆるシーンで言葉のプロ(アナウンサー陣)や、番組・イベント作りのプロが指導をしてくれた。
伝え手である存在意義を、何も考えていない(そこに考えが及ばない程、あんぽんたんな状態)当時の私に、本当に根気よく教えてくれたのだ。

アナウンサーのボキャブラリーは小説家には敵わないが、本を沢山読みなさい。
活字を読み、アナタの身体(目・感性)というフィルターを通して、アナタの声で伝えなさい。

見たこと・感じたことを、体験していない人に言葉でイメージ出来るように伝えなさい、と。そして、誰もが分かる言葉を選ぶこと。

聞き手が理解して、初めて「伝わる」のだから。

得手不得手はあるけれど、スマートに話すことより、
何を伝えたいかという情熱がある人の言葉に人は心を動かされる。

「言霊」とは、そういうこと。

言葉の遣い方で、その人が分かる。
句読点の打ち方で、その人のリズムが分かる。

マッサージや食事で身体を整えるように、言葉でその人のココロと身体を整える。
私は、その人の身体に触れないけれど、ココロに触れてエネルギーを整える。

そういうことを、業(なりわい)としている。
そして、これを天職だと信じて疑わない能天気な幸せ者である。

どんなにITが発展したとしても、紙媒体で活字を読むことは決してなくならない。
それが、脳に及ぼす効果は計り知れないものだから。

いつも傍らに、本を携えて。

前田カオリコ

エッセイスト・話し方プロデューサー

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
新宿区子ども・子育て会議 区民委員
2016年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
昭和女子大学 社会人メンター
小学校英語指導者資格

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