「待つ」ことの忍耐と必要性。

息子はADHD(発達障害)。
自由に生きてきた私にとって、これはある種の修行と捉えて彼と向き合うこと数年。
(そして私もADHD.)

自分の価値観を根こそぎ振り返る作業と、
その子の特徴を考え、どうすることがその子にとって必要なのかを考えた。

もちろん、頭では分かっていても。
実践できるかどうかはまた別次元であることなのだ。

昨日、私は息子と二人でよみうりランドへ遊びに行った。
小学4年生のGW初日だった。

もともと新しい環境に馴染むのが苦手で、突然の予定の変更があると頑なに動かなくなる。
それは以前から経験していることなので、一緒にお出かけしよう。と提案しても近所の児童館ばかり行ったり、自宅でゲームや本を読んだりという生活が1年くらい続いた。

無理やり誘っても行きたくないし、お互いに楽しいものではないので静観することにした。
その間、ジレンマがないわけではない。
同じ学年の従兄弟は毎日野球にのめり込み、めきめきと社会に触れて精神・肉体を鍛えている様子に。クラスのお友達は塾へ行き勉強をしているという。

それに比べ・・うちの息子は何もしていない。
そう思うと、子供時代の今を無為に過ごしているような感覚に苛まれそうになる。
もしかしたら、息子の大事な時間を、何かを習得する時間を無駄にしているのではないか。
この時期にもっと連れ出して、様々な経験をさせてあげないのは親として怠惰なのか。

など。

しかし。
そうではなくて。

彼には彼のタイミングがあるのだとしみじみと感じたのが、昨日の遊園地で過ごした時間だった。
ねぇ、ママとよみうりランドに行こうよ。
前日に提案したら、乗ってきたので。

翌朝8時半に家を出て、9時半によみうりランドに到着。
移動の電車も食事もジェットコースターも、どのアトラクションも。

二人で笑いながら、これも乗ろう、あれも乗ろう。
そうお喋りしながら。

そうだった。
この子にはこの子の成長ベースがあるのだと。
そのことを痛感し、他者との比較をしなくていいと言いながらも。
この子と向き合って、この子がどう成長するのかに心を砕けばいいのに。

個性を育むというのは、そういうことで。
ADHDと診断されようがされまいが、その子がどういう状況なのかを考えて。
どういう伸ばし方ができるのかを見られるようにしたいと。
改めて気づき、成長に喜びを感じ。
今までの忍耐があったからこその報われた気持ちもあり。

結局のところ、やはり本質を見ながら柔軟に、臨機応変に対応するしかないのだから。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

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