毎朝の風景に。

ようやく夏休みが終わり。
日常が戻って来たようなリズム。

身長も体重も大きくなった子供達の姿を。
日に日に感じる頼もしさや、本人達の感性を。

夏休み明けすぐ。10日前くらいだろうか。
登校で家を出た娘が、15分程して戻ってきた。
「どうしたの?」
「靴下の色が違ったから、履き替えにきたの。」という。

中学の指定は「白ソックス」。
夏休み明けですっかり忘れていたのか、娘が履いていたのは「灰色ソックス」だった。

駅の前で気がついたから、引き返してきたという。
「えー、遅刻しちゃうじゃん。そのまま学校行けばよかったのに。」
「私にとっては、重要なことなの。遅刻しても。」という。

ふーん。今度からは、遅刻しない方を選んでね。と伝えてみた。
納得したかどうかはわからないけど。

 

今朝の息子(小4)を見送る時に。
玄関で靴下を履いている。
左右が別々の色だった。(メーカーは同じ)

私は指摘しなかった。
別々でも何の問題もないので。
それに、
いろいろと指図されたり、口出しされたりするのを嫌うプチ反抗期なので。
まぁ、いっか。ということになるのだけれど。

マナー・ルール・常識など。
いろいろな価値観の中で。

常識という名の非常識。
道徳・秩序・集団・社会。

子どもによって違う個性に。
「いってらっしゃい。気をつけてね。」と、今朝も背中に声をかけた。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター


みずみずしさの賞味期限

いわゆる「一般的」だとか、「常識」だとか。
そういうものとは違うと思っていたくて。
アウトローな感覚を持ち合わせていた20代頃までの私。

 

それからいくつかの出来事を重ねて。
何気ない日常の繰り返しの幸せに。
平穏であることの素晴らしさを、心から噛み締めた頃。

 

ただ尖っているだけでは、何も見えないからと言わんばかりに。
私は無意識のうちに、その居場所を選びながら。
人生を重ねているのだとしたら。

変わらない日常などないということを。
頭で理解するのではなく。
経験することで、打ち破られたのだった。

 

変わらないということは、居心地がよく。
変わらないということは、その努力も必要で。

 

それでも、変化のある人生を歩むのであれば。
やはり目の前で起こる出来事を受け入れながら。
それも運命だと受け入れることしか出来ない。

 

40代の今は。
こうでなければならないという自意識から離れる時期なのではないかと。
まだまだ打ち破られる自我を。

 

その変化を愉しむことが人生なのだとしたら。
私はこれからも苦悩しながら、笑いながら生きていきたい。

みずみずしさは。
年齢を重ねて失ってしまうにはもったいなくて。
内なるものの声を聞きながら。
私はわたしと対話する。

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 


中1の夏・11日間の合宿

長女はこの夏、11日間の訓練合宿へ参加してきた。

礼儀・挨拶・勉強を中心に、躾や生活習慣を身につけるということが大きな目的だった。
今回、参加させた理由に。
私自身、中1の時に同じ場所で同じ訓練合宿へ参加したことがある。

自分の経験を重ねて。
中学生だった頃の記憶。
この時期に親以外の大人から指導を受ける機会を持って欲しかった。
本人に意思を確認して参加させることにしたのだった。

富士宮(静岡県)までお迎えに行き。
12日振りに見る我が子の横顔に。遠目から、大人びた姿が見えた。
親の贔屓目だとしても。
こうして自分の世界を着実に広げて行くことの頼もしさに。
毎日、報告書の手紙が届いて。
そうかそうかと読みながら。

「可愛い子には旅をさせよ」のことわざを思い出しながら。
厳しさの中に、人の愛情を受けたり、本音で語った時間だったろうと思う。

スマホ・ゲーム・テレビのない生活に身を置いて。
わざわざ費用を出して、そういう経験をさせることに。

非日常は常に新鮮であるように。
我が子にどう受け取るのかを、押し付けることはできない。

 

その退校式を目の当たりにした息子(小4)は。
少し思うところがあったようだ。

キャンプに行きたくない。
新しいアクティビティに参加したくない。

いつもそう言って、新しいことに対して及び腰だけれど。
それでもその理由もなんとなくわかるけれど。

「いつまでも逃げてちゃだめだよ。」というメッセージを受け取ったのだろう。
(実際、穏やかな時に話をしたのだけれど)
「オレにはトラウマがあるんだ。」と言って布団をかぶってしまった夜もある。

それでもね。
そうやって自分で乗り越えて行くことをして。
一つずつ克服できるといいと願いながら。
「大丈夫よ。」とそっと声をかける。

どうやら、あれだけ抵抗していた一泊二日のキャンプには行けそうだと。
大喜びしたい気持ちを抑えながら。
二人の我が子の成長を見守ることの幸せを。

そっと今日も寝顔を眺めるのだった。

11日間不在だったせいか。
息子は楽しそうに、姉に話しかけていた。
私に話すトーンと少し違いを感じながら。
そうやって、母親の出番と見守る時間を大切にしていけたらと思うのだった。

私を母親にしてくれてありがとう。
今でもたくさんの葛藤が続くけれど。
親にしてもらったことの有り難さに気づかせてくれたことに。

私も親として、個人として、成長していかねばと心に誓うのだった。

 

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 


ふたりの成長と、私と。

子ども達が夏休みに入り。
猛暑での過ごし方を日々考える。
あまりに暑すぎて、小学校のプールが連日中止になるという事態。
そんな中、今日は映画が観たいというのでチケットを予約しておいた。

3歳差の我が子達は、仲が良い。(中一・小4)
娘は知らず知らず(というより、私の適当ぶりを間近でみているので)
しっかりと育ってきた。

寝顔を見ると、まだまだ子どもで愛おしく。
時折、そっと頭を撫でてみるけれど。
すやすやと眠る姿に、小さかった頃を思い出す。

少しずつ自分で出来ることを増やしていって。
中学生になり、弟と映画館まで行ってみたらと提案する。

一人で歩かなければ道は覚えないし。
迷った時にどうするのかという対処もできない。

親への依存心と、安心感と。
本人の自立心と、冒険心を。

 

大人になったから、全てを突き放すのではなく。
心理学でいうところの「集団欲求」。

誰かと繋がっていたいことの大事さは。
大人だろうが子どもだろうが関係のないこと。

自立できているということは、一人だけでいいのではない。
孤独の時間が愉しめるのは、受け止めてくれる居場所があるからこそ。

抱きしめることと、信じること。

「お姉ちゃんだから、できるよね。」は言わない。
「ママより私の方がしっかりしているから。」というセリフに。
私は、そっとほくそ笑むのだった。

 

(幼稚園生の頃。今とあまり変わらない顔立ち)

 

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 


ボランティアの対価とは。

カオリコです。
最近、思うことが立て続けにあるようで、更新頻度も高いですが。
本日も絶賛たわごとにお付き合いくださいませ。

さて。
昨日は新宿子育てメッセ実行委員の準備会ということでしたが、次回の役員さんが刷新されるため、進行役が誰もいないということで急遽、ファシリテーターとして進行をさせていただきました。
相変わらず黙っていられない性分でして、ついマイクを手にしてしまいます(笑)。

今回もいろいろと議題が上がった中で、思うことの一つに。
ボランティア活動ってなんだろうか。ということ。
今までもずっと感じていたのですが、改めて綴ると。

ボランティアは自己満足だと思っています。
やりたいからやる。
誰かの役に立ちたいからやる。
やった方がいいからやる。

もちろん、状況や環境にもよりますが。
ボランティアの対価というのは、本人の欲求を満たせるかどうかだと思っていて。
特に無償のボランティアというのは、「やっていて楽しいから。」という理由だといいなと思っています。
お金を払ってアクティビティに参加することがあるかと思うのですが。
それと同じような感覚で。
むしろボランティアで運営までして、内部の事情まで知れて、そこにいる人たちと仲良くなれるという人脈まで作れる。

運営ボランティアの場合は、なおさら自分たちの意見が直接伝えられたり、反映されたりするのだから相当の醍醐味があると思うのだけれど。

そのワクワクのベクトルが、みんなのために。というだけではやっぱり疲弊してしまって。

実行委員に出席することが、「何か(例えば時間・労力・コスト)」を「犠牲」にしているというのであれば。
無理をする必要はなくて。
「犠牲」というと、お願いする側としては非常に心苦しさを感じる。

特にイベントはワクワクしたり楽しんだり、お祭りみたいな要素が含まれることが多いので。
その来場者のために心を砕き、楽しんでもらいたい。という気持ちと。
自分たちが楽しみながら作り上げたものと、規模感との差に軋轢が生じてしまっていては。

もちろん、世代も性別も価値観も違う中での集団に、同じようにワクワクしてね。ということは難しいかもしれない。
けれど。
ボランティアとして参加することの意味をもう一度考えられるといいなと。
ボランティアなのだから、やってもやらなくてもいい。

そんなボランティアの定義はいろいろある中で。
先日、息子(小4)が区のジュニアリーダー養成プログラムに参加しているため、ボランティア活動がプログラムに組み込まれていました。

もちろん、本人はボランティアの定義なんて考えてないと思うし、行けというから行ってきた。というレベルで。
(それでも、行くだけ良かったと母としてはドキドキしました。なにせ、嫌だ。と言い出す可能性だってあるのですから。)

お手伝いをする。ということを経験することで、初めて会う人たちと協力して何かを成し遂げるというミッションを与えられて、行動をする。
周りの人との調和がイマイチ難しかった様子でしたが。
そうやって、他者との関わりを持つことに意味があったりして。

もし、ボランティアでやらなければならない状況になったとしたら。
同じ時間を費やすのならば。
そこにいる人たちとどうコミュニケーションを取って、楽しめるかどうかを考えられたらいいのに。
相手が喜ぶことをすると、自分がそれ以上に満たされるということは。
誰かに何かしてもらった時に、「ありがとう」という言葉が自然に言えるようになるのかなと思う。

教わりながら、体験しながら。
結局は、みんな支えて支えられて生きている。
そういうことなのだけれど。

本質は、もっとシンプルなはず。

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 

 


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