それぞれの家族

「家族という単位は、集団で一番小さいものだ。
だからこそ、このコミュニケーションがちゃんと取れなければ大きな集団を動かせるワケがない。」

「いいか、運命と宿命は違うんだぞ。運命は自分で変えられる。そして、変えられない宿命をどうにかしようとするのは無駄だ。その違いを知った上で、自分の運命を拓いていけ。」

「遠慮と貧乏はするな。」

「将来、親に何か返そうとしなくていいから、自分の子どもに同じことをしてやれ。」

子ども時代に聞いた言葉の数々は、私の血肉となり脈々と受け継がれている。
そうした言葉を改めて大人になり、成功哲学やセミナーなどで耳にする度に、私はそういう教えを身近に感じて育っていたし、至極当然のこととして受け止めていた。

そもそも商売人の孫・娘である人達が全てそういうことに興味を抱くかどうかはまた別の話ではあるけれど、私はそんな大人の会話を聞いているのが好きだった。

コタツでお茶を飲みながら、祖父母と父が業界の情報交換をしている。
お客さんが来ても、ちょこんと座って澄まし顔で話を聞いていた。

また、母の嫁としての振る舞いを眺めながら、その時は苦労しているという想像もせず。
しかし、結婚後、無意識のうちにそれをなぞらなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうにもなった。

結婚したばかりの頃。
自分が父の破天荒な性格を受け継ぎながらも、妻として、嫁としての母の姿が当然で、そうあるものだと思っていただけに、自分の現実や現状との違いに苦しみ、もがいた経験。

私の本来の姿や、実家との違いを受け入れることに時間を要したこと。
生活環境の変化は、それまで慣れ親しんできた習慣からの離別であることに直面したのであった。

入籍する時に、なぜか涙が流れた。
姓が変わるということは、それまでの私から別の人生を迎えるのだということに。
一抹の淋しさを覚えたことを鮮明に思い出す。

私の結婚は、そういう意味ではゼロからのスタートだった。
そもそも、その覚悟があったからこそ苦しいと感じた時も、万一離婚を選択したとしても、実家には戻れないし、一人で生きて行くものだと決意したのだった。

現在
私は、コミュニケーション・コンサルタントとして、またママ支援団体の代表として多くの大人と関わっている。

改めて思うことは、
それぞれに自己肯定感が低いといこと。
どうしてそこまで自信がないのだろう。
それは、やはり生育歴が影響している。

わたし自身も子育てをしなければ、ここまで気付かなかっただろう。
自分の過去を振り返り、向き合い、伝えていきたいなどと想像しただろうか。

一人一人を大きな愛情で丸ごと受け止め、それでいいから。大丈夫だからと。
これを言ったら嫌われるとか、こんなことを思う自分がイヤだとか、どんな風に思われるのかという恐怖心から解放されたらと願う。

ここに居て大丈夫。
せめて、私の周りで関わる人達にはそう思える場所にしたくて。
今日も沢山笑って、沢山食べて、沢山眠ろう。
会った時には、目を合わせて。
時々、休息をしながら。

また、走ったり、転んだりして。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 

 

 


発達障害のこと

今朝、息子が学校に行きたくない。と、泣きながら布団に包(くる)まって言った。

その10分前は、学校の支度を整えていて。
後は時間になったら家を出るだけだったのに。

時々、ひとりでリビングで布団を敷いて寝る息子。
昨晩もそうだったので、学校へ行く前にお布団を畳んでから行ってね。と再三伝える。
そのことが最終的に引き金になったのか。
彼の中で「命令されること。」(やりたくないことを強制的に言われること)で、イヤな感情が芽生え、そのまま様々なことがフラッシュバックしたらしい。

登校の時間になっても動かない。
どうしたの?と聞いても微動だにしない。
あぁ、始まった。

その思考回路は、前回の旅で本人から聞いた。
(長崎旅行のスケジュールが大幅に変更になった件)

一度、イヤな気持ちになるとそれまでに経験した不当な嫌な数々を思い出すという。
あのとき、誰々がどういうことをした。いやなことを言われた。ボールを投げられた。しつこく押された。など。

ひとつのことがキッカケで全く別の記憶まで思い出すことになり、身体が動かなくなる。嫌な気持ちに縛られて気分が沈み、涙まで流す。

だから、急に学校に行くこと自体が出来なくなる。
その時の気持ちが「今」の状態になり、動けなくなる。

うんうん。分かるよ。分かる。分かりすぎるよ。
誰が何と言おうが、その場凌ぎで謝られても自分の気持ちが落ち着かなければダメなのだということ。

それでも息子は、やっぱり空気を読むのが苦手だ。
そもそも、空気など読まない。読もうとしない。読む必要も感じていない。

ママが仕事に行くと伝えても。
学校で授業があると伝えても。
楽しみにしている行事があっても。
誰が待っていると話しても。
先生から電話があっても。

とにかく、どんなアプローチがあったとしても解決するのは時間だけなのだ。
それが、根本的な改善かということとは別として。

ただただ家に居るというのは、つまらないもので。
ゲームもテレビもしない状態で、次第に飽きて来たらしい。
丁度、ノートが切れていたので通学路の途中にある文房具屋さんまで歩いて向かった。
(まだ授業をやっている時間帯)

今日は、「まなびの教室」がある日。
息子が夏休み明けから指折り数えて楽しみにしていた授業の再開。
(それがあっても、学校に行かないと決めたらテコでも動かない。)
その先生が、たまたま授業を終えて帰るところに出くわした。

その時に掛けてくれた声に、わたしが泣きそうになる。
「おー、そうかそうか。家から出て来たんだね。それで大丈夫だよ。
君のままでいいからね。大丈夫。」

そう言って、息子の腕をさすりながら顔を見て話してくれていたのに。
息子はばつが悪そうに頭を回して返事もろくにしない。

母というのは、どうしてこんなに弱くて強く居ようとするのだろう。
わたしはどうすることも出来ず。
その子のことを思いながら、ひとりでは抱えきれない育児と向き合う。
力を貸してくれる人がいるからこそ。
息子の成長を一緒に見守ってくれる人が居るのだという安堵感に。
わたしはたまらなく涙が込み上げてくる。

 

明日は、気分が変わって学校に行けるだろうか。
育児に正解がないとしても。
ないからこそ、試行錯誤しながら自分と向き合う。

発達障害。
それは分かりにくいけれど。
私もその性質を持っている。
そして、知っている。
この特徴のあることで、喜怒哀楽が豊かであることも。

私は自分の個性が好き。
そして、そのことで沢山の人に助けられて、支えられて生きているから。
マイナスな個性にせず、息子の特徴だということを理解しながら。

ただ、まだ息子はその感情のバランスの取り方が分からない。

私が文章を書くように。
言葉を使って表現するように。
日々の成長の中で、本人らしいバランスの取り方を見つけられるように。
ママはサポートすることしか出来ないのだから。

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

 


最期まで笑いながら。

小六の娘。お風呂での会話。
多分、一番リラックスする時間なのだろう。
ママとのお喋り。

「もうさ、ママに似て欲しくないって思っているところが似ちゃってイヤだよー。」
「あら、どうして?」
「だって、ママ適当じゃん。」
「あははは。それね、生きている上で大切だから良かったね。」

そう言うと「もぅ。」という表情で私を睨む。

「いいじゃない。
それにママはさ、死ぬときまでずっと好奇心の赴くままに生きていたいんだよね。」

「そうだね。きっと、ママはさ。おばあちゃんになっても旅に出て行ってて。その先で転んで死んじゃったりして(笑)。行って来るねー。って言いながらお別れして。そうしたら、お葬式で泣き笑いしながら、自由なママでしたって言って、みんなの前でママにお別れの挨拶するから。」

自分で言いながら、そうやってママをバカにしてるのに、泣きそうになる娘。
目を擦って、誤摩化しながら。

想像しちゃったのかしら。
そういうところが可愛くて、愛おしくなる。

精一杯に強がって、ママはちゃんとしていないとか、しっかりしていないからどうにかしてよっ。と日々言うけれど。

この繊細さは、やっぱり生まれたときからずっと見ている私の娘そのもので。
わたしもやりたいことが沢山あるけれど。
この子達の笑顔を一番近くで見ていたい。

今のこの時間を。
今のこの時期を。

子育てをしながら。
今日も「行って来ます。」の背中を見送る。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター


当たり前ではないこと

二度と会わないと思っていた。
勝手にそう思っていたのだけれど。

そんなことはなくて。
いつどこで再会するなんて、想像もしないことだった。

ただ、
それは生きていることが前提だった。
だからこそ。

二度と会わないという決め事の愚かさに。

その人達の顔を見た時に、様々な記憶が呼び戻される。
その時間があったから、今のわたしがここにいるけれど。

それでも、その時間に戻りたいとは願わず。
わたしはわたしの今を生きることを選択した。

全てのものを手に入れようとすると。
全てのものを失ってしまうかのように。

何かを選択したのならば。
何かを手放すことをする。

その見えない法則にはルールがあって。
わたしは素直にそれに従っているだけなのだから。

出逢ったことに感謝して。
別れを伝えて。
自分の中で、ケジメをつけた。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー


「ただいま」と「おかえり」の変化

一週間振りに会う子ども達。
一回り逞しくなったように感じてしまう。

事実。
子ども達は実家で成長してきたのだろう。

夜泣くこともなくなり。
ママが側に居なくても、肌に触れなくても。
小学生の二人の我が子達。
「ママ、子離れしてよー。」と小6の娘に言われる。

そうね。
していないワケじゃないのよ。
ただ、ちょっとね。
嬉しいの。
幸せなの。

こうして、成長してくれていることに。
友達と自分で約束して遊びに行くこと。
夏休みの毎日を、子ども達と過ごしながら。

「ママ、香港だって。」
「ママ、熱海に居るんだって。」

LINEで状況が伝わるのは、最初の2日目くらいまで。
それからは、連絡が途絶える。

それでいい。
いつまでもママが側にいる意識でいるのではなく。
目の前の大人や周りの人達と生活することを。

わたしは、今日も母親であり、一人の私自身であることに。
安心して帰る場所があることに。

 

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

株式会社リコラボ 代表取締役
新宿区発のママ*サークル「ブルーミング・マム」代表
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー


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