今になって思い出すこととか(両親編)

ふと。
料理をしながら思い出した。
今晩の夜ご飯は「肉じゃが」。
私もあまり味見をしないで作って、そのまま食卓に出すことが多い。

ふと。
父親が母の料理を褒めていたことを思い出した。
3人兄弟の私。
小学生とか中学生とか。うろ覚えだけれど。
父と母の会話の噛み合わなさ加減には、ものすごく違和感があったし、
なぜ、そうなのだろうといつも思っていた。

父:「今日の○○はうまいなー。」
母:「そう?味見しないで作ったのよね。」
父:「・・・。」
母:「急いでるから、味見してないんだけど。」

そんなようなことを言う。
母は、なんて空気が読めないんだろうといつも思っていた。

せっかく褒めているのに。
よかった。ありがとう。嬉しい。
そういう言葉が出てきたら。

きっと、そのまま父は機嫌よく食事ができただろうに。
そして、私たち(子ども)も不穏な空気にさらされずに済んだのに。
そんな風に思っていた。

なぜ、ふとそう思ったのかというと。
結婚して妻になり。
出産して母になり。
毎日料理をしている中で。
夫に「美味しい。」と言ってもらえないことの淋しさを感じるからだった。

「ねー、今日のご飯美味しいでしょ。」
そう言ったところで。

「まー、普通かな。」
「えー、なんで。超美味しいじゃん。」
「そうかなー。」とか
「これ、何て料理?」なんて言われた日には。

黙って食べろ。
と言いたくなる衝動を抑えて。

きっと両親にも、私たち(子ども)にわからない思惑があったのだろうけれど。
ただ、そこ(手料理を褒めてくれること)だけ切り取って思うと。

父はきっと本当にそう思って言っていたように思うと。
母にはそれなりに気を遣っていた部分があるような気がする。
ただそれだけのことだけれど。

誰かに褒めてもらったら。
自分が作ったものを「おいしい」と言ってくれたら。
私は「ありがとう」と言えるようでいたいと思ったことを思い出す。

子どもたちは素直に
「今日の肉じゃがウマい。」と言ってくれるので。
「そうでしょー。だってママの愛情がたーっぷり入ってるからね。」と
すぐに調子に乗っててしまうけれど。

手作りの料理を、美味しいと言ってくれるだけで。
どんなに忙しくても。毎日作ることが大変でも。
ふっと気持ちが軽くなるのだから。

前田カオリコ
フリーアナウンサー
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長

高校時代にロータリークラブの青少年交換留学生として1年間アメリカ・ミネソタ州に留学。
ヨーロッパ・アメリカ・カナダ・アジア各国の学生との交流により価値観の多様性に触れる。
子連れホームスティ・三世代ホームスティなどを経験。
「自分が大好きになる子育て」をテーマに子育てに関する講師としても活動。

シェアお願いします

フォローお願いします


コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください