ボランティアの対価とは。

カオリコです。
最近、思うことが立て続けにあるようで、更新頻度も高いですが。
本日も絶賛たわごとにお付き合いくださいませ。

さて。
昨日は新宿子育てメッセ実行委員の準備会ということでしたが、次回の役員さんが刷新されるため、進行役が誰もいないということで急遽、ファシリテーターとして進行をさせていただきました。
相変わらず黙っていられない性分でして、ついマイクを手にしてしまいます(笑)。

今回もいろいろと議題が上がった中で、思うことの一つに。
ボランティア活動ってなんだろうか。ということ。
今までもずっと感じていたのですが、改めて綴ると。

ボランティアは自己満足だと思っています。
やりたいからやる。
誰かの役に立ちたいからやる。
やった方がいいからやる。

もちろん、状況や環境にもよりますが。
ボランティアの対価というのは、本人の欲求を満たせるかどうかだと思っていて。
特に無償のボランティアというのは、「やっていて楽しいから。」という理由だといいなと思っています。
お金を払ってアクティビティに参加することがあるかと思うのですが。
それと同じような感覚で。
むしろボランティアで運営までして、内部の事情まで知れて、そこにいる人たちと仲良くなれるという人脈まで作れる。

運営ボランティアの場合は、なおさら自分たちの意見が直接伝えられたり、反映されたりするのだから相当の醍醐味があると思うのだけれど。

そのワクワクのベクトルが、みんなのために。というだけではやっぱり疲弊してしまって。

実行委員に出席することが、「何か(例えば時間・労力・コスト)」を「犠牲」にしているというのであれば。
無理をする必要はなくて。
「犠牲」というと、お願いする側としては非常に心苦しさを感じる。

特にイベントはワクワクしたり楽しんだり、お祭りみたいな要素が含まれることが多いので。
その来場者のために心を砕き、楽しんでもらいたい。という気持ちと。
自分たちが楽しみながら作り上げたものと、規模感との差に軋轢が生じてしまっていては。

もちろん、世代も性別も価値観も違う中での集団に、同じようにワクワクしてね。ということは難しいかもしれない。
けれど。
ボランティアとして参加することの意味をもう一度考えられるといいなと。
ボランティアなのだから、やってもやらなくてもいい。

そんなボランティアの定義はいろいろある中で。
先日、息子(小4)が区のジュニアリーダー養成プログラムに参加しているため、ボランティア活動がプログラムに組み込まれていました。

もちろん、本人はボランティアの定義なんて考えてないと思うし、行けというから行ってきた。というレベルで。
(それでも、行くだけ良かったと母としてはドキドキしました。なにせ、嫌だ。と言い出す可能性だってあるのですから。)

お手伝いをする。ということを経験することで、初めて会う人たちと協力して何かを成し遂げるというミッションを与えられて、行動をする。
周りの人との調和がイマイチ難しかった様子でしたが。
そうやって、他者との関わりを持つことに意味があったりして。

もし、ボランティアでやらなければならない状況になったとしたら。
同じ時間を費やすのならば。
そこにいる人たちとどうコミュニケーションを取って、楽しめるかどうかを考えられたらいいのに。
相手が喜ぶことをすると、自分がそれ以上に満たされるということは。
誰かに何かしてもらった時に、「ありがとう」という言葉が自然に言えるようになるのかなと思う。

教わりながら、体験しながら。
結局は、みんな支えて支えられて生きている。
そういうことなのだけれど。

本質は、もっとシンプルなはず。

前田カオリコ
コミュニケーション・コンサルタント
登録商標 魅話力(みわりょく)

1976年生まれ 新宿区在住
2児の母

一般社団法人ブルーミング・マム 代表理事
株式会社リコラボ 代表取締役
1期・2期 新宿区子ども・子育て会議委員
2016/2017年度 新宿子育てメッセ 実行委員長
日本メンタルヘルス協会 研究修了カウンセラー
昭和女子大学 元社会人メンター

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