ママになりたい~acoの妊活から出産までの記録~ Vol.7【★体外受精した時】

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クリニックに通い、本格的な妊活をスタートするまでは、体外受精は海外セレブがするもので、自分のような普通の人間には関係のないものだと思っていました。
しかし、クリニックの初日に意識が変わりました。
とても丁寧な面談・説明を受けたからです。

家庭の年収や妻が仕事を持っているかどうかなど、具体的なアンケートにも答えた上で、治療の説明を複数枚の資料と共にしてくださいました。
タイミング法・人工授精・体外(顕微)受精の話・成功率、また、どのタイミングでステップアップをしていくかなどの説明を受ける中で、体外受精は身近なものと感じるようになったのです。
クリニックは、毎回たくさんの患者さんで溢れていました。

採卵は別室で行われるのですが、毎回の採卵前後に休むベッドは定員でいっぱい。
個人クリニックのカーテンで仕切られていた3台のベッドから、それぞれ名前を呼ばれ手術台に行きます。
器具の音や、採卵中の様子、また衣擦れの音などもかなりリアルに聞こえてきました。
一人手術を終えると、だいたい3~4時間くらいベッドで休むのですが、皆さん痛すぎて眠って休むと言う感じではありません。
溜息をつく声や、痛さをおさえる雰囲気がそれぞれカーテン越しから伝わってきました。

クリニックでは、
『今の時代、クラスに一人は体外受精の子がいますよ。』と説明を受けました。

自分が母親になり、ママ友もたくさん出来た今となっては、もっとたくさんいるのではないか。と思っています。 何故なら、それくらい体外受精をして授かっている方々との出会いが多いから。
また、不妊治療に関する話題をママ友同士でフランクにできる状況に驚きましたし、同時に、多くの人が子供を作るためのプロセスを気にしていない事実に、喜びでいっぱいになります。
そして『体外受精の子だから。』と言うようなレッテルを貼るような方も、私の周りにはただの一人もいません。

そう。
それぞれ人には状況があるから。
逆に、それだけ子供ができずに悩んでいる方が多い世の中なんだな、と改めて感じたりもします。

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さて、タイミング法から、体外受精に移行するにあたり、私は不妊治療の経験を重ねます。
色々な種類の薬や注射を医師の指示のもと、決めた時間に服用したり、注射したりしました。

副作用で体調不良を起こしたり、心身共にバランスがおかしくなったりすることもありましたが、計画的に進められていくことは、私にとってはかえって気持ちが楽になりました。
ただ、受精卵を作るために採卵をしなくてはいけないのですが、その採卵が本当に痛かった。

採卵後の数時間「悶絶級」のお腹の痛みがおさまらず、『なんでこんなことまでしないと・・・』などと思いながら、さらには「受精卵がきちんとできるかどうか」という不安の数日間を過ごすのです。
採卵手段として、まず器具を入れて大きく膣の部分を開きます。グリグリとドリルを入れられているような感覚。
その後、子宮の中に局所麻酔用の注射を直接、何本も打たれます。
これだけでも相当の痛みが伴います。

局所麻酔なので痛みはないはずですが、実際は採卵するためにブスリブスリと針を刺して卵子を採るので、刺されるたびに痛いのです。
手術台から降りると毎回、手術台は大量の血で赤く染まっています。
私の場合、卵子の数が多く、それだけ刺される針の本数は多くなります。
そのため、麻酔が切れると刺された部分の痛みがダイレクトにくるので、痛さも比例して大きかったと思います。

この体外受精の手術を経験したことで、ふんわりとしたタイミング法から、いきなり現実を見せられたような感じになりました。
しかも、この体外受精でも子供ができなかったら、もう他に子供を作る方法はありません。
ものすごく痛い上に、妊娠の確率も低いのでかなり必死でした。
ただ、その分、私達の夫婦の絆は想像以上に深まりました。
正直、痛い思いも、恥ずかしい思いをするのも女性側。

ですが、毎回夫に報告をし、話し合い、やっぱり夫婦二人三脚でなければ子供はできない。だからこそ、普段からま
すますパートナーを思いやるようにお互いが意識をする。
そして、もしかしたら子供ができないかもしれないので、「それだったら・・・」と二人の時間を大切にし、ますます仲良くなる。
夫婦にもよるかと思いますが、うちは夫婦の会話をとにかくしました。

不妊治療中は、何気ない言葉で本当に傷つきます。
何気ない日常の中だからこそ、傷ついた出来事は全て主人に話し、現状を分かってもらいました。それだけでもかなり救われるのです。

私が一番傷ついた言葉は、

『子供が出来た人は、不妊治療をしている人に気を遣っている。不妊治療をしている人は、子供が出来てみないとその人達の気持ちが分からないんだよ。だから子供ができてから発言をしてほしいんだよね。』と知り合いが言っていたことでした。

この言葉を聞いた時、「子供が出来なくて悩み、友達にも話せなくてうつ病寸前、もしくはうつになっている方々が山ほどいる現状や、卵子が老化をすると言う事を知らずに生活している女性が沢山いるという現状などを、自分たちがどういう形でも良いから伝えていくことはできないか」と、夫婦で話し合っていました。

そのタイミングに、たまたま主婦の友社から「雑誌に出てくれないか」というお声掛けをいただき、一年間不妊治療に関する色々なインタビューを受けることになりました。
他にも、国内・海外の旅行、気持ちをリセットするために少しおしゃれなディナーに出掛けたり・・そういう事もしていました。
不妊治療はとにかく自分で何とか元気を出さないと、どんどんメンタルがやられるので、不妊治療の以外の出来事で余計なストレスは本当にためたくありませんでした。

そのため、夫婦が仲良くできる事が一番私にとってはシアワセな事でした。出かけるもよし、会話をするもよし、お家でテレビを見ながら二人でお酒を飲む事、そんな些細な事も私にとってはとてもとても幸せに感じる事なんです。
今思い返してみても、この治療期間中は悪い事ばかりではなかったと思わずにはいられません。

そして、三回目の移植で妊娠することが出来ました。
 

 

 

 

aco(あこ)さん

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短大卒業後、幼稚園教諭、チャイルドマインダーと乳児、幼児に8年間かかわる。
その後、大の美容好きが高じて美容業界へ転職し、化粧品メーカーの営業を行う。

2011年結婚を機に退職し、妊活に専念。
不妊治療と並行して、子供がいない人生についても考えており、趣味の料理やテーブルコーディネートを深めるためにフードコーディネータースクールに通う。

2014年12月男児出産。現在育児とのバランスを見つつ、子連れ参加可能の料理教室やアルバム作りのお手伝い(アルバムカフェ)を開催している。

<不妊治療の経緯>

2011年2月 結婚(35歳)
◆2012年4月 自然妊娠後、初期流産
◆2012年10月~2013年3月 病院指導のタイミング法4回
◆2013年4月 体外受精スタート
◆2013年12月 腹腔鏡手術で多嚢胞性卵巣を一時的に治す
◆2014年1月 治療再開
◆2014年3月 体外受精(採卵)
◆2014年4月 移植
◆2014年5月 妊娠判明
◆2014年12月 出産(39歳)


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